もちろん!
Go To で行けません!
公共の交通機関も通っていません!
ただ、この周囲は漁場として漁船も出かけるところなので、まったく行けない訳ではありませんが、漁船のチャーターや、ヨットで近づくことはできても、今度は上陸となると、もっとハードルが高くなりそうです。
孀婦岩を見るだけ… ということなら、この周囲がコースになったクルーズ船が一番現実的かもしれません。
(あ、それならGo Toトラベルが使える可能性もあるかも知れませんね)
孀婦岩の歴史
孀婦岩の存在は、18世紀の末ごろにアメリカとの交易船によって発見されたといわれています。
17世紀の後半に、小笠原諸島の母島へ紀州のミカン船が漂流してたどり着いたことで、小笠原諸島の存在を江戸幕府が知った時から考えると100年ほど後になります。
ただし、小笠原諸島の存在自体はそれ以前の14〜16世紀にはスペイン人などの西洋人には知られていたといいます。(
#030 小笠原諸島のアウトライン 参照)
ですから、孀婦岩という認識はなくとも、もう少し古い時代から孀婦岩の存在は知られていたのかも知れません。
この孀婦岩を発見した英国人のミアーズは、この岩に「ロトの妻」という名前を付けました。
その由来は、旧約聖書に出てくるソドムとゴモラの二つの都市の滅亡にまつわる伝説で、滅亡の前に逃げ出すことになったロトが神様から「後ろを振り返ってはいけない」と言われていたにも関わらず、振り返ってしまった妻が「塩の柱」になっていまったという話です。
塩の塊のようにも見えるこの岩が、18世紀の人間からはまさしく旧約聖書の伝説そのものに見えたことでしょう。 |