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#136 2021年2月 日本も世界も弱っているのかな?

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2020年の一年間を、とうとうコロナ禍で過ごしてしまいました。

コロナが日本で広まり始めてからほぼ一年が過ぎ、結果的に季節を問わずに流行が終焉する気配も薄いまま、医療施設までも深刻な状況を迎えつつある中で、ワクチン供与開始だけが明るい話題です。


2020年 東京オリンピック

多くの報道機関のアンケートを見ると、「中止すべき」と回答されている方が過半数を占めているのが目立ちます。

「お も て な し」という言葉で象徴したオリンピック招致から数年、オリンピック開催へ向けて日本中がまい進してきたものが、コロナという大きな障害物の前に急ブレーキを踏まされた感じで、いまは徐行か一時停止を前に「どうなることか…」と日本だけでなく、開催自体が世界中から注目の的となっています。

 

一方では2022年には北京での冬季オリンピックが控えています。
2022年冬季といっても、実際の予定ではいまからほぼ一年後であり、確かに昔のスケジュールでは「閏年に夏も冬もオリンピックを開催」してはいましたが、いまでは2年おきに夏→冬→夏というスケジュールで物事が動いているので、二つの世界的なイベントをほぼ一年の間に同時開催するのは難しい事のようにも思われます。

 

日本も中国も国威がかかったイベントなので、容易に開催/中止の判断は、とても難しいことであるのは理解できる一方で、それではイベントの成功として世界中から人が移動して来るということになれば、その時期に果たしてコロナの被害がどの程度であるかを予測することは、現時点でこれも難しいことといえましょう。
同時に懸念されるのは、その移動によって仮に終息に向かっていたコロナが再燃したらどうするかという、各々の国民の不安もぬぐえるものではありません。


そんな局面の中で…

先日、森喜朗大会組織委員会会長の発言が大きな物議をかもし、森会長の辞任ということになりました。

発言の内容は周知のとおりなのですが、一番の問題はその内容が「差別的な発言であった」ということになります。

 

多くの人の考え(思想)の向かう方向が「一般的な常識」とするなら、現代においては中学校の標準服(制服)においても、男女の区別がなく選択できる時代で、以前なら「男子制服」「女子制服」としていたものも「ズボン型標準服」「スカート型標準服」であって、男女の別なく「どちらでも選ぶことができ」、「標準」であるため他のものでも着用して学校へ通うことができる… という時代が現代の「一般的な常識」となっていると言えます。

 

そのように「一般的な常識」というものは、時代の流れとともに変化するものであり、この森会長の発言が、公の場での言葉の選択一つが物議をかもすという典型的な例になってしまったと言えるでしょう。


災禍は続くの?

いま一番に対応を迫られているのがコロナの問題であるのは異論がないところと思いますが、それに付随してこのオリンピックの開催/中止の問題、また経済が明らかに停滞している問題、そしてこの原稿を書いている間にも東北で再び大きな地震がありました。

昨年、一昨年を振り返っても、九州での大雨による被災も記憶に新しいところで、ここ数年(特にオリンピックという明るい話題を控えながら)「日本、大丈夫か?」というような不幸/不運な事柄が続いています。

 

国でとらえないとならない事柄、また個人(の生活)に降りかかっている事柄と、どうしても気持ちが明るい方へと向いていかないのが現時点での実情です。


日本も世界も弱っているのかな?

コロナの問題一つをとっても、「出口が見えないトンネル」というのは不安が増すばかりです。
しかしその中で、世界中がワクチンの開発を急ぎ、やっとそれもできるだけ多くの人が接種できるような体制もできつつあります。

こういうことは世界レベル、国家レベルでないと動かせないことであり、世界中のすべての人がその恩恵を享受できるように国連とWHO(世界保健機関)が努力し、世界の国々で開発を急いだ良い結果、「少しトンネルの出口が見えてきた」といえるでしょう。

 

一方、それを受け取る国家とそこに住む個人のレベルで、できることはまた、今度は一人一人が考えていかなくてはなりません。

 

外出時、マスクしていますか?

手洗いを励行していますか?

多くの人が集まる「密」を避けていますか?

 

個人レベルで思いつく防御策は、できる限り多くの人が、できる限り実行することで、その効力が生まれてくるはずです。


そこに差別がないように…

イスラエルでは国民にワクチンがいきわたり、余剰となったものについては外国人にも接種を始めたということです。
その一方で、イスラエルが占領するガサ地区のパレスチナ難民の接種率は相当に低いと伝わっています。

 

世界的な問題であるコロナに対しては、国家を越えて対応しなくてはなりません。

いま日本では、経済の停滞によって受け入れていた外国人労働者(研修生)の解雇の問題が浮上してきました。
果たして在留期限が切れ、言葉もまた不自由である人たちが作るコロニー(集団)でクラスタの発生が懸念される時に、彼らがワクチンを受けることができないとすれば、国内の感染は収まらないと言えます。

 

ほぼ単一民族で歴史を刻んできた日本という国も、この時代になって新しい選択を迫られるように、時代そのものが変化してきているのかも知れませんね。

 

イスラエルとパレスチナについては #101 2017年12月 エルサレム も併せてご覧ください。 


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