寒いなぁと思ってカレンダーを見れば、もう3月と気づいたのが初旬。
暖かくなってきたなぁと思ってカレンダーを見れば、もうお彼岸。
年が明けてからちょっとバタバタしてるとすぐに4月からの新シーズンが始まろうとしています。
そんな時期外れに風邪を引いちゃいました…。
皆さんも気を緩めずに注意してください!
なんなんだろ…
先日、ニュージーランドで銃の乱射事件があり、50人近くの人が亡くなり、同じぐらいの数の人が病院に担ぎ込まれました。
そもそも日本と同じぐらい治安のいい国だと思っていたニュージーランドのクライストチャーチという街で、イスラム教の寺院のモスクに向かって凶弾が放たれたということです。
おそらく反イスラムの考え方を背景にした事件だと思われます。
同じイスラムという点で言えば、中東のシリアの周りで紛争は絶えませんし、ここにはもう一つイスラエル(ユダヤ)とアラブ諸国(イスラム)という長年の宗教を背景にした紛争もあります。
一方では、不法移民を防止するためにメキシコとの国境に塀を作るということで、大統領とアメリカ議会がもめています。
アメリカと言えば、人種のるつぼのように様々な人種と国籍の人がひしめいており、わかりやすいことで言うなら黒人に対する差別、ラテン系移民への差別など、国の中に人種にまつわる問題を抱えています。
世界地図は…
私たちが見慣れている世界地図は、太平洋を中心にして真ん中上に日本、右端にアメリカ大陸、左端にヨーロッパとアフリカが描かれています(中央に近いところに日付変更線があります)。
実は世界的にみるとこの地図は少数派で、多くの地図は大西洋を中心に左端にアメリカ大陸、右端にシベリアと日本が(右下にニュージーランド)が描かれ、一枚の地図の上で一日が終わる(つまり日付変更線は右端/左端にある)ようになっているのが大勢です。
それゆえ日本は Far East(極東)という表現で言われ続けてきました。
【日本の標準的な地図】 |
【世界の標準的な地図】 |
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かつて歴史や文化の中心がヨーロッパにあって、西に向かって新世界を求めたことを考えれば、標準的な世界地図の中心がヨーロッパにあることの方が、むしろ自然なことかも知れません。
振り返ってみて…
戦国時代(〜安土桃山時代)に、南蛮交易(ヨーロッパとの交易)が始まると火縄銃やキリスト教が日本に入ってきました。
まだ当時の日本の世界という概念は、ほぼ日本列島の国土を超えては考えることができない時代だったと言えます。
本当に日本が世界に認知されたのは、おそらく18世紀末から19世紀初頭にかけての日清・日露戦争からだと思われます。
そしてその後に日本が戦勝国となった第一次世界大戦、敗戦国となった第二次世界大戦の間に、世界は国際連盟・国際連合を築きながら、世界中の国々が地球規模での「世界観」を共有していくことになります。
その理念は、民主主義であったり、肌の色を問わない人権という考え方が基礎になっています。
この世界を網羅した国連の理念のもとで、植民地とされていた多くのアジアやアフリカの国々が独立し、いまでは196の国があります。
しかし、これは別の見方をすれば、196の異なる主義主張のもとに国があるともいえます。
そして日本…
南蛮貿易までの日本には、古くは遣唐使・遣隋使、あるいは朝鮮半島を経由して、中華や朝鮮(現在の中国や韓国、北朝鮮)の文化が入ってくるのと同時に、様々な人々もやって来ました。
そして彼らの中には日本に定住し、日本の民族と同化していった人が多くいたであろうことは想像に難くありません。
日本は島国ゆえに、来ることも苦労なら、出ていくことも苦労であったため、その人たちも含めて日本は長い年月にわたり、ほぼ単一の民族で過ごしてきました。
しかし、年代的に言うなら「平成」の間に、欧米を含めアジア圏からの外国人労働者や観光客の人たちが実感として増えました。
また日本の労働環境の変化や労働人口のピラミッドの変化で、今年から単純労働に限って外国人労働者の受け入れが始まります。
日本人は今まで外国の人には「お客さん」として接してきていましたが、これからは「隣人」として外国の人に接する環境へと変化する時代にさしかかろうとしています。
それが是か非かという論議ではなく、196の世界の国の中の一つ(それもかなり力のある国の一つ)として世界の中に位置付くなら、現実に新しい隣人が来た時に、私たちは笑顔で日本の良さを伝えてあげられたら、それはどれほど素敵で素晴らしいことかと思います。
新元号に変わった時に、この国の「習慣」と「優しさ」と「誇り」を、新しい隣人たちに分けることができたなら、きっとそこでは国や肌の色や民族を超えて、新しい日本の姿を見ることができるでしょう。
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