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#106 2018年5月 愛されて60年

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今年のゴールデンウィークは、1日と2日が休みになると9連休という大型でした。

もちろんお仕事の関係で、とりわけお客さん商売の方にはなかなか満喫できないGWですが、各地の観光地も往復の高速道路や交通機関も、かなりの混雑が目立ったようです。

次は夏のお休みまで大きな連休はありませんから、気持ちを切り替えて頑張っていきましょう!


愛されて60年

ゴールデンウィークの少し前、4月27日の朝日新聞紙面で、「国鉄特急色 最後の車両がラストラン」という報道がありました。

平成生まれの方にはすでに生まれた時から「国鉄」という言葉は死語であったわけですが、平成も30年になる現在から振り返ると、30年以上前の車両が現役を引退し、昭和を彩ってきた国鉄(現在のJR)のカラーが消滅するというのには、感慨もひとしおという方もたくさんいらっしゃることと思います。

 

この「国鉄特急色」というのは、昭和を過ごしてきた方には「ああ、あの色か…」とすぐに思い当たる、肌色に似た「クリーム色」に窓周りと正面に描かれたヒゲ模様が「赤」というあのツートンの特急列車のカラーです。

 

【国鉄特急色】

実際には旧国鉄の中で、「赤1号」「赤2号」「青1号」のように細かな色の違いの規定があるのですが、一般の私たちには「赤い電車」や「緑の電車」、「特急」「急行」の色などの呼び方で、一瞬でよみがえる色が浮かんでくることでしょう。

 

この国鉄特急色、一番最初に使われたのが、まだ東海道新幹線が走る前の東海道本線に走った「特急こだま号」です。

1958年(昭和33年)に東京〜大阪間の日帰りが可能になる「ビジネス特急」として生まれた「こだま」」に初めて特急用としてのツートンのカラーが使われました。

(各駅停車タイプの東海道新幹線「こだま」は、このビジネス特急の「こだま」を受け継いだ2代目になります)


60年前の鉄道の色って?

昭和33年の鉄道車両というと、そのカラーはとてもシンプルなものでした。

そもそも電車は都市部では普及してきていましたが、現在の埼京線の一部になる川越線や八高線など、東京の近郊でもディーゼルカーの路線であり、長距離を走る列車は、途中の区間や行く先に非電化(電車が走れない区間)が多くあるため、客車列車がほとんどでした。

 

電車は茶色、客車も茶色、ディーゼルカーは戦前からツートンカラーがありましたが、この頃から「朱色」と「クリーム色」に変わってきた時期です。

 

2013年10月のかわら版で「山手線」のお話( #054 2013年10月 まぁるい緑の山手線… )をしましたが、山手線が「緑(当初は黄色)」、中央線が「オレンジ」で新型の車両が走り始めたのもこの頃です。

鉄道の色で戦後の変化を語りきれるわけではありませんが、戦後15年近くが経とういうこの頃、やっと世の中に色が戻ってきた時期かもしれません


あの色、この色を思い出して (電車)

今回、この昭和・国鉄時代から継承されてきた国鉄カラーの特急電車が引退するということで、果たしてあの時代にどんな色の列車が走っていて、いつの間にか見かけなくなった車両に、どんな色があったのかを思い出してみました。

 

まず、多くの車両が銀色のステンレスになっているので、色としては帯などに残っているとしても、全体を塗料で塗った車両というのは本当に少なくなりました。

そのため全体に色を塗り、あの頃と同じ色の車両というと、東海道新幹線しか思い浮かんできません。

(とは言っても、登場当時と同じ色の組み合わせで、同じ塗り分けのままというわけではないのですが…。)

そこで、記憶をたどりながら、旅行や帰省などに使った車両を思い出してみることにしました。

 

まず関東の方なら、東京駅や上野駅、新宿駅などで遠方に行く列車が数多く発着していたので、いろいろなカラーの列車を見たおぼえがあると思います。

 

湘南地方をイメージした「みかん色」と葉っぱの「緑色」のツートンの急行列車(湘南電車=湘南色)は、新潟に向かう「急行佐渡」や長野・松本に向かう「急行信州」「急行アルプス」などに使われていました。

 

同じ急行でも、電化方式のちがいで直流と交流の区間を走る列車(交直流)には、「クリーム色」と「あずき色」ツートンの、「急行ときわ」「急行ざおう」「急行まつしま」などがあります。

 

【WEB版の追記:関西方面の方へ】

大阪を起点にすると、山陽方面(岡山・広島・下関方面)へは、湘南色の急行に「ひえい」「六甲」「はりま」「みやじま」など、クリーム/あずきのツートンの急行には、北陸方面へ「ゆのくに」「立山」、九州の電化後は「玄海」「つくし」「べっぷ」「日南」などを思い出します。

 

この湘南色は、いまの湘南新宿ラインがカバーする範囲などで普通列車にも使われたほか、カラーを「クリーム色」と「青色」のツートンに変えた列車もありました。

最初に横須賀線に投入されたため「横須賀色」と呼ばれていますが、その由来は「海に近い地域を走る砂浜のクリームと海の青」とも言われています。

(湘南色は「湘南新宿(東京)ライン」の、また横須賀色は「横須賀・総武快速線」の車両の帯にいまでも使われています。)

【電車急行色(直流)】【湘南色】

 

【横須賀色】

 

【電車急行色(交直流)】

 


あの色、この色を思い出して (電車以外)

これらは「電車」が走っていたエリアでの話になりますが、未電化の地域では主役はディーゼルカーや客車でした。

ほとんどの地域で各駅停車に使われたディーゼルカーは「朱色」と窓周りが「クリーム色」のツートンですが、急行や準急で使われていて格下げになった急行色の車両も混じっていました。

これらディーゼル急行色の車両は、冒頭の国鉄特急色とよく似た「赤」と「クリーム色」のカラーになるのですが、厳密には国鉄の社内的には違う色を使っているということになります。

 

【ディーゼル急行色】

 

【ディーゼル一般色】

 

客車は急行列車と普通列車の間に、一部を除いてはカラーには電車のような明確な区分がないため、多くは茶色、または青色の車両が混在していました。

ただ、特急用の客車だけは別格で、これはのちにブームにもなりましたが、「ブルートレイン」という名称のように、青い車体に白いラインが3本(末期には2本)入った青い寝台特急が東京駅や上野駅から、翌朝には故郷に到着できるという便利さで、日本中の各地、東京・大阪から九州東北方面に向けて、数多くの寝台特急が発着していました。

 

【有名な寝台特急に「あさかぜ」や「富士」などがあります。最盛期には夕方の東京駅の4時半から8時半のわずか4時間の間に9本10種の寝台特急が発車していました。】

 

こうして思い出してみると、まだ飛行機での旅行が一般的でなかった時代に、鉄道の旅はその時に乗った列車の「色」とともに、たくさんの思い出がよみがえってくるものです。

【客車寝台特急】

 

【電車寝台特急】

 

そうそう…冷凍ミカンとお茶って、今でも売ってるのでしょうか?


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