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#099 2017年10月 サザエさん

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ここ数年は、夏のあとに秋を感じる間もなくすぐに冬になっていたようですが、今年はカンカンに暑い日が少なかったせいか、秋をじわじわと感じながら過ごしています。

おそらく時々は暑い日と寒い日が交互に来ることもあるのでしょうが、少しずつ冬支度を始めながら、もう少し秋の味覚を楽しみつつ、年末年始に迎えたらいいなと思っています。


サザエさん

サザエさんといえば、日曜日の夕方に放送されている国民的なアニメです。

放送開始が1969年(昭和44年)になりますので、もう48年にもなる長寿番組です。

原作は長谷川町子さんで、朝日新聞では1951年(昭和26年)から最終的に1974年まで、四コマ漫画で連載されていました。

連載末期に朝日新聞紙面でサザエさんをご覧になった記憶のある方でも、アラフィフ以上の年齢に差し掛かるかというお歳になるかと思います。

そういう意味では、新聞連載漫画というよりもテレビアニメとして、現代では幅広い年齢層の方たちに定着しているといえますね。

 

そのテレビ版サザエさんのエンディングで流れる、「大きな空を ながめたら 〜♪」で始まるエンディングソング。

この曲が流れると、「日曜日も終わって明日からまた一週間か…」と、気を引き締める人もいれば、憂鬱な気持ちで宿題に取り掛かるお子さんもいるかも知れません。

林春生さん作詞のこの歌詞は、全体の2番と3番の歌詞で構成されているということをご存知の方は少ないと思います。

先日ラジオでそのことを紹介されるまで、実は私も知りませんでした。

 

まずは通常の1番の歌詞を。

#1 大きな空を ながめたら 白い雲が 飛んでいた

    今日は楽しい 今日は楽しい ハイキング

    ほらほら みんなの 声がする

    サザエさん サザエさん サザエさんは愉快だな

 

本当のフルバージョンがこちら。

#1 二階の窓を 開けたらね 朝の光が さしこんだ

    とても素敵な とても素敵な 日曜日

    ほらほら いつもの 声がする

    サザエさん サザエさん サザエさんは愉快だな

 

#2 大きな空を ながめたら 白い雲が とんでいた

    今日は楽しい 今日は楽しい ハイキング

    ほらほら 明るい 声がする

    サザエさん サザエさん サザエさんは元気だな

 

#3 静かな森を 歩いたら 赤い花が 咲いていた

   今日は楽しい 今日は楽しい ハイキング

    ほら ほら みんなの 声がする

    サザエさん サザエさん サザエさんは愉快だな

※ 下線部がTVでの歌詞?

ご存知のように、磯野家には二階がありません。

そういうことから、1番の歌詞がイメージの磯野家と合わないために差し替えられたのかなと思います。


元歌と違うということでは…?

シャボン玉飛んだ。

誰もが幼いころに口ずさみ、お歳をめしてもお子さんやお孫さんとシャボン玉遊びをしながら歌う童謡の「シャボン玉」。

野口雨情さん作詞の歌詞をあらためてみます。

 

#1 シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ

    屋根まで飛んで こわれて消えた

    風、風、吹くな シャボン玉飛ばそ

 

#2 シャボン玉消えた 飛ばずに消えた

    産まれてすぐに こわれて消えた

    風、風、吹くな シャボン玉飛ばそ

 

最初にこの詩が世に出たのは、1922年(大正11年)に児童雑誌に発表されたものです。

イメージとしては晴れ渡る秋空や春の空に舞い上がるシャボン玉なのですが、この詩に込められた野口雨情さんの思いには、生まれて7日目に幼くして夭折した娘さんへの思いがあると言われています。

かわいい年頃の子ども達が、シャボン玉をとばす姿が歌詞から見て取れるのですが、2番の歌詞が「産まれてすぐに」と差し掛かるとそれを思い出したら、切なくなる気持ちがこみ上げてきます。

 

明治から大正にかけての時代は、学校に上がる前に亡くなられるお子さんの数も現代と比べると大変多く、産まれてすぐに亡くなられることも数多くあった時代でした。

そんなやるせない思いが、この鎮魂の歌詞に込められてこそ、「産まれてすぐに」という言葉が童謡の中で使われているのではないかと思います。

 

この歌の解釈は様々で、ここで意味する幼子が実子なのか、親類の子であるなどの説、或いは鎮魂の意図はないなど諸説があります。

ただ、はかなく消えるシャボン玉に託した思いは同じです。

 

以下は、この童謡について改めて調べるはるか数十年前の私が子どもの頃に聞いた話で、それは次のような歌詞でした。

 

童子(わらしこ)消えた 泣かずに消えた

産まれてすぐに 泣かずに消えた

颪(おろし)、颪、吹くな 童子泣かそ

( 「消えた」→「死んだ」だったかも知れません)

 

まだ日本が貧しく、寒村では生まれたばかりの子を育てることができないので、やむなく「間引き」で生まれた子に濡れた和紙をかぶせる(窒息させる)などして、食い扶持を減らすことが行われていた時代の話です。

日照りがよく、農作物が育った年に生まれた子は、食い扶持を悩まずに育てることができました。

でも冷害の年などでは食べ物が足りず、そのような方法を取ることもあったようです。

 

ですから、冷害にならないよう「颪 颪 吹くな」、「童子泣かそ」と歌詞が替わって歌われるんだよと、この歌詞で婆ちゃんに聞いた ことがあります。


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