東海道を走る駅伝
お正月の風物詩ともいえる「箱根駅伝」は、出場校にかかわらずついつい毎年見てしまっています。
そのコースは微細なコース変更があっても、基本的に「国道1号線」を東京の大手町(読売新聞社前)を出発し、小田原から箱根に入り、芦ノ湖を往復してきます。
「東海道を通って、小田原から箱根に入るんだよ」とよく言いますが、実は横浜までのコースは「国道15号線」を通り、横浜の青木橋から1号線を走っていきます。
元々の東海道とは、日本橋を出発して京都まで53の宿場を通りながら進む道でした。
現在の昭和通りを経て、新橋で鉄道のガード(もちろん当時はありません)をくぐり、品川(最初の宿場町)、蒲田を経て、川崎へと進む、現在の「国道15号線」にほぼ沿った道になります。
この時に東京から多摩川を経て川崎に渡るには、橋がなかったので、「六郷の渡し」を多くの人が使いました。
その名残は橋の名前に残り、六郷橋がそれに当たります。
それに対して、現在の「国道1号線」は皇居端の桜田門から明治学院大学、五反田と経由して、馬込から大田区の矢口で川崎側に渡ります。
ここは六郷の渡しに対して、「矢口の渡し」ということになり、現在は東急多摩川線の駅名として「矢口渡」という名前で残っています(橋の名前は「多摩川大橋」です)。
ちなみに歌になった「矢切の渡し」というのは、名前は似ていますが、葛飾区柴又と松戸市矢切を結ぶ渡しになります。
さてこの「矢口の渡し」は、任侠映画などで「裏街道」という言葉を使いますが、東海道の裏街道として、多くの人に利用されました。
現在では海側から、JR東海道線に沿った国道15号線、そこから平均して数qの間隔で山側にを並行に走る国道1号線が、横浜の青木橋で合流します。
城南地区(東京の南東部)では海側から国道15号線を「第一京浜」、国道1号線を「第二京浜」と呼んでいます。
もう一つ内側の世田谷の玉川を起点にした有料道路の「第三京浜」があり、これが「XX京浜」の名前としては一番馴染みのある名前かと思います。
国道の種類
旧東海道に「1(号線)」という名称を与えるのは理解できますし、「そうか中山道になるのが17号線か」というのも理解できます。
ところが都下や地方にいくと、急に「300何号線」というように桁が増えます。
地方でなくとも、高速湾岸線に沿った側道は「国道359号線」になります。
あまり幹線とは思えないような道路にも国道の標識が立っていたりします。
はたして、全国にそんなにたくさんの国道があったのでしょうか?
一般の国道は大きくわけて2種類
国道というのは原則として、国土交通大臣が新設や改築を行なう道路のことです。
つまり、国が主導して作る道路が「国道」ということになります。
しかし、道路というのは当然ですが「維持」や「修繕」を行ない、災害が起きた時には「復旧」といったメンテナンスをしなければなりません。
国土交通大臣がこのメンテナンスまでも行なう国道を、「指定区間内」の国道といい、都道府県または政令指定都市が行なう国道は、「指定区間外」の国道と呼ばれます。
2桁までの国道と3桁の国道
同じと思える国道にもひとつの「格付け」があったわけですが、その区分が国道の番台分けになっているのかと思っていましたら、もう少し複雑でした。
それは昭和27年の道路法の改正で、「一級国道(40路線=2桁までの国道)」と「二級国道(144路線=3桁の国道)」という区分けがされたことがきっかけになります。
一級国道とは「国土を貫いて通る幹線道路の中心となり、都道府県庁所在地などを連絡する道路」になります。
つまり、東海道のような主要な幹線ということになります。
二級国道とは「都道府県庁所在地と人口10万都市を連絡する道路、重要都市と一級国道を連絡する道路、港・飛行場・観光地と一級国道を連絡する道路等」という条件の付いた国道になります。
これは一級国道に対しては枝葉のようなものですが、日本の道路網を補助するという大事な意味を持ってきます。
一級国道(2桁までの国道)は、国土交通大臣が直接管理を行ないますが、二級国道のうちでも全てが「指定区間外」の国道というわけはなく、国道246号線(青山通り)のように、国土交通大臣が直接管理をする二級国道もあります。
いままで一級国道で通っていた道に新しいバイパス道路ができて旧道になると、寸断された旧道が二級国道になって3桁の採番に変わったりすることもよくあります。
ですから川越街道などは、県庁所在地ではない川越につながっているため、幹線であっても二級国道の254号線という番号付けになることもこれで理解できます。
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