東横線/元町・中華街まで直通運転開始
東京に早くも桜の開花宣言が出た3月16日。
JRはじめ、鉄道各社は春のダイヤ改正を行ないました。
東武東上線/西武池袋線沿線にお住いの方の、一番のトピックといえば、今まで渋谷まで乗り入れていた東京メトロ副都心線が、東横線経由で、みなとみらい線「元町・中華街駅」まで直通運転になったことではないでしょうか?
池袋・新宿・渋谷
この3つの駅は、古くは川越街道、甲州街道/青梅街道、厚木街道(大山道)への入口として栄えました。
それが鉄道の歴史の上でも、現在の東武鉄道/西武鉄道、京王電鉄/小田急電鉄、東急電鉄の起点(ターミナル)として発展してきたといえます。
そして、鉄道会社のもう一つの収益源でもあるデパートも、ターミナルに併設してどこも老舗といわれるまでに大きくなってきました。
いわば、鉄道会社同士での縄張りではないのですが、各ターミナルが不可侵の砦であった時代もあったわけですが、いまでは東京メトロを通じて、お互いの路線にお互いの車両が交じり合うように乗り入れる時代になったと言えます。
乗り入れの相関関係
今回、東武東上線/西武池袋線が東急東横線に乗り入れるのですが、実は東武と東急の相互乗入は、東京メトロ半蔵門線を経由して、東武スカイツリーライン(まだ東武伊勢崎線の方が馴染みがありますね)と東急新玉川線/田園都市線ですでに実現しています。
今回初めてになるのが、西武と東急の相互乗り入れで、ライバルと称された堤康次郎氏(西武)と五島慶太氏(東急)にしてみれば、隔世の感のある出来事ではないかと思います。
西武は東京メトロ以外では秩父鉄道と相互乗り入れを行なっていますが、大手私鉄への乗り入れは初めてになります。
東急は、東武スカイツリー線への東京メトロを経由した相互乗り入れがあったと話しましたが、実は15日まではもう一つの乗り入れルートがありました。
それは東横線渋谷駅から2個目の「中目黒」で東京メトロ日比谷線を経由して、最長は「東武動物公園」まで相互乗り入れだったのですが、副都心線との乗り入れ開始にともなって、東横線に乗り入れていた日比谷線はすべて「中目黒」止まりになってしまいました。
【追記1】
中目黒との乗り入れが終了した理由にはもう一つあります。
それは普及してきた「ホームドア」の問題です。
日比谷線の車両は基本的に3扉で長さが18mの車両ですが、東上線も西武線も4扉で20mの車両が走っています。
扉どうしの間隔が違うため、同じホームドアを使うことができません。
(一部の日比谷線には混雑緩和のための5扉の車両もありますが、これも3扉の扉間に2つの扉を設けた構造なので、扉の間隔は4扉の車両と合いません。)
そのため、いままで東急線内を菊名まで直通していた日比谷線も、東急線内のホームドアに対応できないため、中目黒どまりになったようです。
同じ問題は、逆方向の東武スカイツリー線方面でも起きますが、東武線内のホームドア普及率が低いため、当面はこのままの運用となるようです。
【追記2】 2019/2/19
2020年のオリンピックに向け、現在日比谷線では車両の置き換えが進んでいます。
いままで18m[3扉]×8両(144m)だった編成から、20m[4扉]×7両(140m)になります。
これでJRを含めて首都圏の主要な路線の車両はほとんどが4扉で20mの車両になり、ホームドアが設置された区間への相互乗り入れにも、対応ができないという問題がなくなります。
ただし東急線内への乗り入れは、東上線との乗り入れが実現しているので、以前のようなスカイツリー線側からの乗り入れは行われない見込みです。
(臨時列車などで、乗り入れがあるかもしれませんね。)
意外と大変な相互乗入
現在、東京近郊ではJRを含めて、レールの幅で3種類の鉄道が走っています。
相互乗り入れの一番の基本になるわけですが、当然2本のレールの幅が異なれば乗り入れることができません。
今回相互乗り入れになる、東武・西武・東京メトロ・東急の各路線と、JR、小田急は2本のレール幅が1067oという日本では標準的なレール幅です。
このレール幅を「ゲージ」といいます。
日本では標準的な1067oゲージなのですが、実は京浜急行や京成と一部の都営地下鉄で使っている1435oのレール幅が国際的には標準になるので、そちらを「標準軌」といい、1067o幅は「狭軌」と言われています。
(JRでも新幹線だけは標準軌です)
この二つのグループとは別に京王電鉄と乗り入れている都営新宿線は1372oという特殊なゲージを用いています。
この1372oを使っている路線は他に2か所あり、一つが都営荒川線で、もう一つが東急世田谷線にです。
この2つは東京に最後に残った路面電車といってもいい路線です。
京王線は、元々は路面電車として開業した歴史があり、その名残がレール幅に残っているといえます。
このレール幅以上に相互乗り入れにおいて厄介な問題が、各社で異なる保安基準への適合になります。
乗客の方々の安全輸送のためには、自動停止装置や各種の信号設備が重要になってきます。
相互乗り入れをするための車両には、東武の車両にも東急と東京メトロの保安装置を積み、万全をはからなくてはなりません。
(実際は西武線内の走行もあるため西武の保安装置も積みます)
乗客の利便のために、実は裏方で各鉄道会社の方々がされているご苦労は、計り知れないものがあるといえます。
【WEB版の追記/2020.10.13】
現在、京王電鉄の本社は多摩の聖蹟桜ヶ丘にありますが、1988年までは新宿東口の伊勢丹の角(最寄りの駅としては新宿三丁目駅)にありました。
(追分団子のところと言えば、分かる人には分かりやすいかも知れません)
京王の駅は新宿には二つの駅(京王線の新宿駅と新線新宿駅)がありますが、いずれも新宿駅の西口です。
新宿駅と言えば大きなターミナルでもあり、さほど離れた場所でないところに本社を構えるのが通常ではないかと、思っていました。
歴史をさかのぼる形で言うと、まず新線新宿駅ができたのは、都営新宿線との接続のためでした。
そのために京王新線は笹塚から「地下にもぐる」ようになり、甲州街道から離れることなく、甲州街道の真下に新線新宿駅があります。
それじゃ、「地下にもぐるよう」になる前はというと、地上を幡ヶ谷・初台と通り、そこから地下にもぐって左へとカーブして現在の京王線の新宿駅と入るルートでした。
この地上線のあとは、道路となったり、遊歩道となったりしていますが、たどることができます。
その地上線が「左へとカーブ」する前は、現在のJR新宿駅南口を路面軌道のまま甲州街道を通ってJR線を跨ぎ、渡りきったところの明治通りを池袋方面に進んで、そこが終点の「新宿追分駅」でした。
場所としては、京王電鉄の旧本社の場所がまさしくその終点であったわけです。
現在までもそこに「新宿追分駅」がずっと存続していたら、「新宿三丁目」という駅名ではなく、いまでも「新宿追分駅」という名前のままだったかも知れません。
しかし、第二次世界大戦末期の1945年5月に変電所が空襲を受けてやられたために、電車が走るための電圧が低下したことで、一段と高くなる現在のJR新宿駅南口の坂を登れなくなってしまい、この新宿追分駅は周辺の数駅ととともに廃止になりました。
なお京王電鉄のホームページによれば、登記上の住所地は新宿三丁目のままということです。
京王電鉄ホームページ
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