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#014 2010年2月 干支の話

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寒いのに SPRING でいいの?

2月といえば、まだまだ寒いのに…。

ちょうど一年前に 「二十四節気」 を書いたのを思い出すと、その分類でいけば「立春」を過ぎた今はまさしく「春」の季節なのですよね。

先日のTVニュースでも横浜中華街の「春節」を報道しており、中国でも立春にあたる「春節」はまさしく旧正月です。

その旧正月を伝えるニュースの中にいた「張子のトラ」は軽く気になったのですが、さらにもっと興味をそそられる事が別の番組で…。

それは旧ソ連領のカザフスタンの新年を祝うイベントを映したものだったのですが、そこにあったのはやはり同じトラの着ぐるみ!!

聞くところによると、今年はカザフスタンでも「寅年」とのことです。

あれあれ…?

干支(えと)は日本や中国だけのものじゃなかったの??

(調べるうちにこの「干支」という言葉も使い方が間違っていたことが分かりました → 正しくは十二支、あるいは十二生肖になります)


十干十二支…だから「干支」…でも「えと」は本当は別の意味

もともとの干支の起源は商(殷)代の中国に遡ります。

干は幹・肝と、支は枝・肢と同源ともいわれています。

この習慣は、日本、ベトナム、朝鮮半島などだけではなく、西はロシアや東欧などにも伝わりました。

ですから、TVで見たカザフスタンでもこの習慣がいまだに生きているのですね。

アジアからヨーロッパ各地に広がる十二支は次のようになります。

(青太字は少数派)

日本

中国

台湾

猴*

狗*

韓国

チベット

ベトナム

水牛

山羊

ロシア

*

ベラルーシ

猫*

* 猴(ぐ)=日本語の「猿」と同じです

* 狗(く)=日本語の「犬」と同じです

* ベラルーシの猫は兎の地方もあります

* ロシアの猪は豚の地方もあります

このように十二支は(当たり前ですが)12種類からなっていますが、十干はとはどういうことでしょう?

この十干は「甲(こう)」「乙(おつ)」「丙(へい)」「丁(てい)」「戊(ぼ)」「己(き)」「庚(こう)」「辛(しん)」「壬(じん)」「癸(き)」の10種類からなっています、

この「十二支」と「十干」を合わせて干支と呼びます。

十干は古代中国で考えられてきた10個の太陽にそれぞれ付けられた名前で、この10個が毎日1個ずつ昇り、一回りするのを「旬(上旬・中旬・下旬)」と呼んだといわれます。

この十干十二支はさらに陰陽五行説と結びついて様々な占いに用いられてきました。

陰陽五行説とは、「木」「火」「土」「金」「水」を示し、それぞれに陽と陰を持ちます。

この陽は兄・姉であり、日本語では古くは「え」としました。

同様に陰は弟・妹にあたり、「と」となります。

これが日本語でよく使われる「えと」の語源になります。


暦を見ていて気がついた 「なるほど!!」

トラ年だからではありませんが、プロ野球の熱狂的なファンが多い阪神タイガースの本拠地といえば「阪神甲子園球場」。

これはこの球場が完成した1924年が甲子(きのえね)という、60年に一度の十干十二支の初年に当たった縁起のいい年ということで命名されました。

 

ここで気になるのが「甲」を「きの」と読むことです。

甲の次に来る「乙」は「きの」と読みます。

そして「丙」は「ひの」…。

 

思い出してください!!

陰陽五行説で「木」があったことと、「え」「と」が陽と陰を表したことを!!

甲 → きのえ → 木(き)の陽【兄】(え)

乙 → きのと → 木(き)の陰【弟】(と)

丙 → ひのえ → 火(き)の陽【兄】(え) …

十干=「甲(こう)」「乙(おつ)」「丙(へい)」「丁(てい)」「戊(ぼ)」「己(き)」「庚(こう)」「辛(しん)」「壬(じん)」「癸(き)」

陰陽五行説=「木」「火」「土」「金」「水」

 

十干がこの陰陽五行説で説明されるようになると、五つが表す方位である五方とも結びつけられました。

五方は色で表すと「白」「黒」「赤」「青」「黄」で、思い出すのは東京の地名で「目白(不動尊)」「目黒(不動尊)」などです。

「それじゃ「目赤」や「目青」は?」と思われると思いますが、これも具体的な場所は不明ですがあったという話があります。

この都心の目白や目黒の位置からは関係が薄いと思いますが、西の昭島市には「目黄不動尊」というバス停があるので、その近くにはやはり「目黄」という地名があったと思われます。

 

この「十干」や「陰陽五行」に絡んだ「五方」は、さらに後には「十二支」や易である「八卦」を交えて、「二十四方」が用いられるようになっていきます。

八卦は宝くじを買うのに「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言い聞かせて買われるので心当たりもありますが、大相撲で行司が「はっけよ〜い、のこった…」と掛け声をかけるアレも同じ「八卦(よ〜い)」です。

 

この方位は、十二支を用いて「北を子(ネズミ)」として時計回りに東を「卯(ウサギ)」「南を午(ウマ)」「西を酉(トリ)」としています。

地球儀で北と南を結ぶ縦の線(経線)を「子午線」と呼ぶことにも納得(!!)ですね。

北東・南東・南西・北西はそれぞれ「うしとら」、「たつみ」、「ひつじさる」、「いぬい」と呼ばれます。

小噺に出てくる「巽芸者」とは深川仲町の芸者を指しますが、元々は品川の芸者で、この地が江戸城の東南方角であったことに由来します。

 

さらに十二支を使って時刻も表し、夜中の23時〜1時を子の刻として、順番に丑、寅、…と続いて、11時から13時までを午の刻としました。

夜0時を「子夜」、昼12時を「正午」、正午より前を「午前」、正午より後を「午後」と呼ぶのも、これに由来します。

「草木も眠る丑三ツどき」とは現在の午前2時半前後を示します。

 

時刻を意味する十二支の使い方は #100 2017年11月 お江戸日本橋 も参考にしてください。

 

十干と五行説

十干

五行説

音読

訓読

意味

五方

こう

きのえ

木の兄

いつ・お

きのと

木の弟

へい

ひのえ

火の兄

てい

ひのと

火の弟

つちのえ

土の兄

つちのと

土の弟

こう

かのえ

金の兄

西

しん

かのと

金の弟

じん

みずのえ

水の兄

みずのと

水の弟

十二支の時刻、方位、季節

十二支

読み

方位

時刻

旧暦

旧暦の
呼び方

現在の
呼び方

二十四節気

節気

中気

23時 - 1時

十一月

霜月

12月

大雪

冬至

うし

北北東

1時 - 3時

十二月

師走

1月

小寒

大寒

とら

東北東

3時 - 5時

正月

睦月

2月

立春

雨水

5時 - 7時

二月

如月

3月

啓蟄 

春分

たつ

東南東

7時 - 9時

三月

弥生

4月

清明

穀雨

南南東

9時 - 11時

四月

卯月

5月

立夏

小満

うま

11時 - 13時

五月

皐月

6月

芒種

夏至

ひつじ

南南西

13時 - 15時

六月

水無月

7月

小暑

大暑

さる

西南西

15時 - 17時

七月

文月

8月

立秋

処暑

とり

西

17時 - 19時

八月

葉月

9月

白露

秋分

いぬ

西北西

19時 - 21時

九月

長月

10月

寒露

霜降

北北西

21時 - 23時

十月

神無月

11月

立冬

小雪

二十四節気については#004 2009年2月 二十四節気の話 も参考にしてください。

二十四節気に入らない雑節

節分

(せつぶん)

季節の分かれ目のことで、もとは四季ごとにありましたが、現在では立春の前日のみを指します。 たいていは2月3日です。

彼岸

(ひがん)

春分の日と秋分の日をはさんで前後3日ずつ、計7日間のことです。初日を彼岸の入り、終日を彼岸明けと呼びます。

21日が春分の日なら、18日(彼岸の入り)〜24日(彼岸明け)になります。年によって、前後します。

社日

(しゃにち)

春分、秋分に最も近い戊(いぬ)の日です。春には豊作を祈願し、秋には収獲に感謝する行事を行います。 戌の日なので年によって、変化します。

八十八夜

(はちじゅうはちや)

立春から数えて88日目で、種まきの目安の日です。

2月4日が立春なら、その年の 5月2日が八十八夜になります。

入梅

(にゅうばい)

現在の「梅雨入り宣言」ではなく、旧暦で決められた日です。

旧暦では、芒種の後の壬(十干の「じん」=「みずのえ」)の日で、この日から梅雨に入る日とされています。 

芒種は旧暦の皐月(現在の6月)になって最初の壬の日なので、年によって変化します。

半夏生

(はんげしょう)

旧暦では、夏至より10日後とされていました。

半夏(カラスビシャク)という毒草が生える頃で、天から毒気が降るとされていました。 7月2日前後になります。

土用

(土用)

旧暦では、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間です。

最近では夏の土用のみを指すようになりました。 

冬の土用:1月17日〜2月3日
春の土用:4月17日〜5月4日
夏の土用:7月19日〜8月6日(の間の「丑の日」が有名です)
秋の土用:10月20日〜11月6日

二百十日

(にひゃくとおか)

立春から数えて210日目(9月1日)で台風が襲来して天気が荒れやすいとされていました。

二百二十日

(にひゃくはつか)

立春から数えて220日目(9月11日)で、二百十日よりもさらに台風が襲来して天気が荒れやすく、警戒を必要とされていました。

本稿はWEB版にて追加しました。

 


ホントかウソか… 干支の逸話

干支の順番というのは、お釈迦様のもとに新年の挨拶に来た順番に動物を割り当てたとも、十二支の動物を指定日に挨拶に来た順番に決定する、というお釈迦様の招集により集まった、とも言われています。

その経緯はともかく、その結果は次のようになりました。

 

牛は足が遅いので早めに行ったものの、一番乗りしたのは牛の背中に乗っていた鼠だったらしい。

鶏が猿と犬の間になったのは仲の悪い両者を仲裁していたためらしい。

 

鼠は猫に挨拶に行く日を尋ねられた際に嘘をつき、実際よりも一日遅い日を教えたため、猫は十二支に入ることができなかった。

 

それを根に持った猫は鼠を追いかけるようになったらしい。

(しかし、虎が猫科であるため神が干支に同じ科目の「猫」と「虎」がいると他の動物から苦情が来るので鼠を使って猫を厄介払いしたとも言われています。)

 

猫は鼠の嘘を信じて一日遅れて挨拶に行ったため、お釈迦様から「今まで寝ていたのか。顔を洗って出直して来い。」と言われ、それからよく顔を洗うようになったらしい。

 

13番目であったために十二支に入れなかったイタチをかわいそうに思ったお釈迦様は、毎月の最初の日を「ついたち」と呼ぶことにしたらしい。


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