実際には旧国鉄の中で、「赤1号」「赤2号」「青1号」のように細かな色の違いの規定があるのですが、一般の私たちには「赤い電車」や「緑の電車」、「特急」「急行」の色などの呼び方で、一瞬でよみがえる色が浮かんでくることでしょう。
この国鉄特急色、一番最初に使われたのが、まだ東海道新幹線が走る前の東海道本線に走った「特急こだま号」です。
1958年(昭和33年)に東京〜大阪間の日帰りが可能になる「ビジネス特急」として生まれた「こだま」」に初めて特急用としてのツートンのカラーが使われました。
(各駅停車タイプの東海道新幹線「こだま」は、このビジネス特急の「こだま」を受け継いだ2代目になります)
60年前の鉄道の色って?
昭和33年の鉄道車両というと、そのカラーはとてもシンプルなものでした。
そもそも電車は都市部では普及してきていましたが、現在の埼京線の一部になる川越線や八高線など、東京の近郊でもディーゼルカーの路線であり、長距離を走る列車は、途中の区間や行く先に非電化(電車が走れない区間)が多くあるため、客車列車がほとんどでした。
電車は茶色、客車も茶色、ディーゼルカーは戦前からツートンカラーがありましたが、この頃から「朱色」と「クリーム色」に変わってきた時期です。
2013年10月のかわら版で「山手線」のお話(
#054 2013年10月 まぁるい緑の山手線…
)をしましたが、山手線が「緑(当初は黄色)」、中央線が「オレンジ」で新型の車両が走り始めたのもこの頃です。
鉄道の色で戦後の変化を語りきれるわけではありませんが、戦後15年近くが経とういうこの頃、やっと世の中に色が戻ってきた時期かもしれません。
あの色、この色を思い出して
(電車)
今回、この昭和・国鉄時代から継承されてきた国鉄カラーの特急電車が引退するということで、果たしてあの時代にどんな色の列車が走っていて、いつの間にか見かけなくなった車両に、どんな色があったのかを思い出してみました。
まず、多くの車両が銀色のステンレスになっているので、色としては帯などに残っているとしても、全体を塗料で塗った車両というのは本当に少なくなりました。
そのため全体に色を塗り、あの頃と同じ色の車両というと、東海道新幹線しか思い浮かんできません。
(とは言っても、登場当時と同じ色の組み合わせで、同じ塗り分けのままというわけではないのですが…。)
そこで、記憶をたどりながら、旅行や帰省などに使った車両を思い出してみることにしました。
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