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#015 2010年3月 花見といえば ソメイヨシノ

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花見といえば ソメイヨシノ♪

この季節になると、花見の計画で身も心もウキウキされている方もたくさんいらっしゃると思います。

 

花見といえば桜。

そして桜といえばソメイヨシノというのがお花見の定番というのは誰もが疑わないところ。

 

ところが花見とは元々「花を見る」ところから、桜の花見をさしたものではありませんでした。

古く奈良時代の万葉集などに出てくる『春の花』と言えば、多くは梅や萩をさし、これらの木々を庭先に植えては、短歌を詠むという、宮中文化をうかがわせます。

 

万葉集に詠われた歌の多さを比較すると

萩(140首) > 梅(118首) > 桜(41首)

といった具合に圧倒的に萩や梅を詠んだ歌が多いことからも、春の花といえば萩や梅であったことが分かります。

 


平安時代から江戸時代にかけてのお花見

この萩や梅の花見から桜へと大きく変わっていったのが平安時代と言われています。

平安時代になると、花見の主流が萩や梅から、桜へと移り変わっています。

当時の古今集の中では春の歌のほとんどは桜の歌となり、万葉集では100以上も詠まれていた梅はほんの僅かだけになってしまいました。

そのような中で、日本においての最初の桜の花見は、京都の宮中で、嵯峨天皇により行われました。

 

この時代の文献によると、左近の梅や都大路の梅が桜に植え替えられたという記録が残されています。

お花見の形も花の宴や桜狩りと言った行事が催されていたり、街の風景までもが梅と桜人気の転換期でもあったといえます。

また、この桜の人気振りはお花見だけにとどまらず、新しい品種の開発にも影響を与えており、里桜で代表される品種である普賢象や楊貴妃といった品種が誕生したのもこの頃になります。

 

花見の風習が広く庶民に広まっていったのは、江戸時代に徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれています。

江戸で著名な花見の名所には愛宕山 (港区)や飛鳥山(北区)、御殿山(品川区)などがあります。

 

【 王子駅から見た飛鳥山 】


ソメイヨシノ という桜…

桜の木といえば、思い出すのはアメリカ大統領のジョージ・ワシントン。

ワシントン市ポトマック河畔のサクラも、かつて日本から贈られたソメイヨシノがルーツになります。

 

さてこのソメイヨシノという桜は、江戸後期に登場したもので 花付きの良さの他に、成長が早いこと、若木の頃から花を付けること、寒さに強いことなどから、明治期に入るとまたたく間に全国に広がり新しい桜の名所を作っていきました。

江戸後期から明治初期にかけて江戸の染井村(現在の東京都豊島区駒込)に集まっていた造園師や植木職人達によって育成された「吉野桜(ヤマザクラの意)」として売り出されたのが始まりです。

その後にヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり、1900年(明治33年)に「日本園芸雑誌」において「染井吉野」と命名されました。

この名称は初め、サクラの名所として知られる大和の吉野山にちなんで「吉野」とされましたが、「吉野」の名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」において「染井吉野」と命名したといわれています。

 

しかしこのソメイヨシノは天然の桜(古くからある一つの種)ではなく、エドヒガンとオオシマザクラの交配種になります(正式には『自然種間交雑種』といいます)。

その起源には、伊豆半島説や韓国起源説などもありますが、現在ではこの染井村起源説が有力です。

ソメイヨシノには「種子は作るが種子で増えることがない」という特徴があります。

すべて人の手によって接木されて増えた(増やした)ものなのです!!

この理由は交雑または交配の結果、自家不和合性* が強く出た品種の可能性が強いからだと言われています。

 

* 自家不和合性:ある植物個体花粉が同じ個体の柱頭に受粉しても受精に至らなかったり正常種子形成に至らないこと=つまり、血が濃くならないような自浄作用といえますね。

 


【 千鳥ヶ淵のソメイヨシノ 】

恐るべし ソメイヨシノ

種子では増えず接木で増えるということは、日本中で見られるソメイヨシノは人工的に植えられていったものであるといえます。

さらに言えば、全てのソメイヨシノが元をたどると1本の木に行き着くとさえいえます。

これがソメイヨシノが一斉に開花し、一斉に散っていく同一性に特徴として出ている一因であると唱える説もあります。

 

昔の江戸は様々な種類の桜を順繰りに巡って花見を楽しむという風情があったそうです。

それが開国から文明開化を経て、外国文化としての「公園」が各地に作られるようになると、そこの植樹で注目され たのが、「成長が早く」「花付きがいい」というソメイヨシノでした。

接木で増やし、人の手で植えていくソメイヨシノは、またたく内に他の桜を追いやり、公園の普及に伴って日本中を席巻していったのです。

 

いまでは公園で花見といえばソメイヨシノの花見ですが、古く江戸時代からそのような花見がなされていたのではなく、こういう習慣が明治以降の極最近のものだったということに、調べながらも驚いてしまいました。

ちなみにソメイヨシノの花言葉は『優れた美人・独立』。

この花言葉を贈りたい人がいたとしても、お花見の時に枝を折るなどいう行為はマナー違反ですので、くれぐれもなさりませんように!!


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