#101 2017年12月 エルサレム

 

今年の冬は、ここ最近に比べかなり冷えると感じているのは私だけなのかな…と思っていたら、天気時の配置が一番の豪雪であった昭和38年の「三八豪雪」とよく似ているとか。

偏西風が蛇行し、暖流の黒潮も南の方に蛇行しているため、日本列島に寒気がとても入り込みやすくなっているそうです。

年末年始を控え、くれぐれも風邪にはご用心!


★ エルサレム

今月6日に、アメリカのトランプ大統領が「中東のエルサレムをイスラエルの首都」に認める宣言をし、その後に多くの国から批判の声があがっていると、各メディアが伝えています。

20世紀後半から現代にいたるまで、世界情勢や戦争・戦闘、またテロの話題が出るたびに、一つのキーワードになってきたのが「中東」であり、そのエルサレムという中東の都市も「聖地エルサレム」という表現で、耳に残る都市名で覚えられています。

が! 少し乱暴な言い方かも知れませんが、国としての国教を持たない私たち日本人からすると、いったい何で国同士が争うような大騒ぎが起きているのか、はっきりと認識するのにはおそらく一筋縄で解釈ができないことのように思えます。


★ まずは3つの宗教

エルサレムというのは中東における一つの都市で、その歴史は紀元前にさかのぼります。古い世界史の話になりますが、紀元前1000年頃に成立したヘブライ王国がその都とした記録に始まり、その後にユダ王国、バビロニア王国が成立していきます。この人々がユダヤ人の祖先となるのですが、その後の長い歴史の中でもローマ帝国やペルシャ王国などの様々な影響や支配のもとに、多くの栄枯盛衰がありました。

ユダヤ教もキリスト教もこのエルサレムを聖地と位置付けています。
そしてもう一つ、イスラム教にとってもここは聖地になります。

この3つの宗教は「アブラハムの宗教」を共通したルーツになるもので、その聖地がエルサレムであることが、その帰属が現代でも一触即発を招きかねない問題になっていると言えます。

『創世記』に登場するアブラハムには、2人の息子(イサクとイシュマエル)がおり、ユダヤ人はイサクの息子であるヤコブの子孫であると言われています。ユダヤ教は「モーセの十戒」を含んでいる「旧約聖書」を聖典としています。
一方イスラム教のコーランによると、アラブ人はイシュマエルの子孫であると言われていますが、このコーランは神の言葉の最高最後の預言者としたムハンマドによってまとめられたものを聖典としています。


★ その違いを考えると…

ユダヤ教では、イスラエルの民(先ほどのイサクの息子ヤコブの別名は「イスラエル」という名前でした)の神と、預言者モーセの率いるイスラエルの民との間に結ばれた、旧約聖書に語られる「モーセの十戒」を起源にしています。

キリスト教では、旧約聖書の中の預言者たちが登場を予言した救世主(イエス・キリスト)を神の子とし、イエス以降の神との契約と歴史を記した新約聖書を、旧約聖書とともにその起源としています。

その意味では、旧約聖書を共有しているという点で、部分的には共通した世界観がそこにあるといえましょう。

イスラム教では、イエスを含めた預言者たちを神の言葉を伝える者たちであるとしたうえで、最高最後の預言者であるムハンマド(メッカ=現在のサウジアラビア出身の6〜7世紀の人物)に下された教えをまとめたものである『コーラン』がもっとも忠実に神の言葉を伝えた啓典であるとしています。
したがって、モーセやイエスを啓典と認めながらも重要視はせず、また現在使われている経典は「書き換えられたもの」として啓典として用いてはいません。

ですからユダヤ教やキリスト教に共通する世界観は、イスラム教のそれとは異なるものであると言えます。


★ さらにこの地域では

19世紀後半になると、イスラエルの地=パレスチナに祖国を再建しようというシオニズム運動が高まりました。これによってユダヤ人の移住が増え、とりわけエルサレムへは多くの人が移住しました。

当時エルサレムを支配していたのはイスラム王朝であるオスマン帝国でしたが、第一次世界大戦に敗れた同国はイギリスとフランスの分割統治になり、エルサレムを含むエリアはイギリス委任統治領パレスチナになりました。
この時に、委任統治領の首都はエルサレムとされました。

そして次の第二次世界大戦の戦後処理では、このパレスチナ分割決議においては、56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家として、エルサレムは永久信任統治とする案が決議されました。


★ エルサレムの難しさ

その決議を受けてイスラエルは独立宣言(1947年)をしますが、すぐにこれをめぐって、第一次中東戦争が起きます。
1949年の休戦協定で、西エルサレムはイスラエルに、東エルサレムはヨルダンに統治されることになり、この街は二つに分断されました。
さらにこの東エルサレムは1967年の第三次中東戦争でイスラエルの「実効的な」支配になり、さらに現在では20万人を超えるイスラエルからの入植者が増えています。

イスラエルが東側も占領したことを受けたイスラエル議会は、統一エルサレムはイスラエルの首都であるとする法案を可決しました。
しかし、国連の安全保障理事会(安保理)はこの法案を無効とし、また「国連加盟国は外交使節(大使館等)をエルサレムに置いてはならない」として、国連総会でその決定の無効を決議しました。

当時は西エルサレムに13の国が大使館を置いていましたが、東エルサレムの併合に抗議してテルアビブに移転させています。このエルサレムの最終的な地位については、1993年のオスロ合意でイスラエルとパレスチナの話し合いで決めるということになっています。