#078 2015年10月 図書館の話

 

図書館のイメージ 〜

芸術の秋、食欲の秋といいますが、もう一つ「読書の秋」のシーズン到来です。
最近は活字離れも言われて久しい気もしますが、芽生えつつある携帯文化というか、スマホ文化を目の当たりにしていると、活字離れというよりも、「書籍離れ」あるいは「紙離れ」という方が正しいのかもしれませんね。

昨年の7月にかわら版で「屏奴(2014年7月)」という言葉を紹介しましたが、あれから1年間だけでも、またあの頃と環境が変わってきている気がします。

書籍離れを考えてみると、やはり本一冊の値段が高くなる傾向にあるのも一因かと思います。
少年ジャンプなどの漫画誌は現在255円で、1980年の170円、1990年の190円と比べると大きくは値上がりしていませんが、文庫本などは1000円札で2冊買えないということも珍しくありません。
そういう意味では、「一回読めればいいから…」あるいは「調べ物をしたいけど全部じゃなくて一部の情報だけでいいから…」という理由で、昔から図書館を重宝してきましたし、また勉強部屋の代わりに図書館を利用していたのも懐かしい記憶です。

図書館といえば、公共のイメージも強いのですが、実際には私立学校の図書館であったり、大宅壮一文庫のように雑誌等に特化した私設の図書館もあります。

それでも、図書館と聞いて静かな佇まいと空気感で、独特のイメージをもたれる人も多いと思います。


図書館の現代風な経営 〜

昔から確かに私立の図書館はあったとはいうものの、そこにはどことなく「公共性」があって、口悪く言えば「これでは普通の感覚では商売にならないな…」というのも、正直な感想です。

そんな中で聞こえてきたのが、「愛知県小牧市で住民投票の結果レンタル大手「TSUTAYA」と連携した市立図書館建設計画が反対された」というニュースです。
率直に「なるほど!いい共存形態かも…」という感想と、「それは行政の手法としてマズくない…?」という、両側の思いが入り混じったちょっと変な気分でした。

これは「外部委託」という意味では「アリ」な手法だなと思う反面、どうしても描いていた図書館のイメージが、商業ベースに染まりはしないだろうかという「既成概念」が頭の中でぶつかり合ったように思います。

TSUTAYAといえば、街中に数多く展開するレンタルビデオや、CD・DVDの販売店というイメージが大きいのですが、母体はカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)という会社で、約5000万人の会員データベースをもつ、書店・レンタル店のTSUTAYAの他に、ネットエンタテインメント事業、「Tポイント」の運営とコンサルティングを行なっている会社です。
その事業の一環で、指定管理者として佐賀県武雄市の図書館の運営を始めたのが最初になります。
武雄市のほかには、神奈川県海老名市、宮城県多賀城市、山口県周南市、宮崎県延岡市などでも協力しています。


図書館でコーヒーを飲みながら… 〜

コーヒー店も併設された図書館で、コーヒーを飲みながら本や雑誌をめくるというのは、従来の概念からするとちょっと外れているようにも思えますが、ブックカフェに立ち寄る感覚で、それぐらい気軽に図書館を利用できるようになれば、今まで敬遠していた図書館の利用者も増えることが期待できます。
同時に併設された書店では、全部ではないにしても、図書館で気に入った本があれば、それを購入することもできます。

実際に2013年にオープンした武雄市図書館では、利用者数が3.6倍に増えたという統計もあり、Tポイントが付与される図書の貸し出しにメリットを覚える市民も多いかもしれません。


されどその反面… 〜

しかしながら、選書に不透明さがあるなど、反対する市民の声も少なくありません。
佐賀県の武雄市でありながら、「埼玉のラーメンマップ」や「2001年版の公認会計士試験の対策本」、「Windows95の関連書籍」など、現在で果たしてどれぐらいの貸し出しが見込めるのか分かりにくい本も、蔵書として増えました。

ベースは公立の図書館なのですから、市税から蔵書は購入されることになります。
その仕入れを巡っては、CCCの関連企業から在庫になっていた本を買っていたのではないか、という報道もあります。

Tポイント付与も、一方では消費者メリットになりますが、Tポイントを扱う商店への一極集中を助長しはしないか、あるいはTSUTAYAという大型書店が出店してきたことで、周辺の書店(つまり地元にあり続けた書店)の売上が減少しはしないかなど、うまく共存していくには、まだまだ乗り越えないとならない壁も高くそびえているのが現実といえます。
また、Tポイントへの情報蓄積という点では、貸出図書の記録が「民間」に共有されてもいいのか、という問題も残ります。

始まって久しい21世紀が後半にさしかかる頃、更に変わっていく文化の中で、官と民が理想的な協力体制を組めることを願うばかりです。