#017 2010年5月 1都1道2府43県と教わりましたが…

 

 1都1道2府43県と教わりましたが… 〜

普天間問題で揺れる沖縄が本土復帰を果たしたのが1972年5月15日なので、そこまでに小学校で教わった方には1都1道2府42県という時代もありました。

 

先日揺れる参議院選挙を前に新党がいくつも届け出をされる中、大阪府知事の橋下氏を中心とした地域政党「大阪維新の会」が4月19日に発足しましたが、この新党のメインの構想が「大阪都」構想。

2府は「京都府」 と「大阪府」と教わってきた身にはなんとなく語呂が聞き慣れなくて居住まいの悪い感じがしてしまいます。
「都(ト)といえば東京都でしょう?」と年老いた祖父に話しかけたところ、「俺は3府1道で教わった!! 東京は府だった!!」と…。

 

( ゜o゜!)えぇっ 東京って都(ト)じゃなかったの??

 

そこで今月はこの都道府県について、ちょっと調べてみました。


 事の起こりは明治維新…廃藩置県の前段階 〜

県の制度が最初に用いられたのは非常に古く、中国の春秋時代(紀元前770年〜前403年)といわれています。

日本では江戸時代には点的な名称として県がが登場しますが、明治維新後の廃藩置県と県の統廃合によって「国>州>県>郡」と、面的な範囲を示すものとして解釈されるようになります。

県が制定されるまでには、明治維新時の歴史を少し知らなければなりません。

明治維新は1868年ですが、維新当時は徳川幕府の直轄領が明治政府の直轄領となりました。

その中で江戸・大坂・京の3都や開港5港などを直轄する地域を「府」として、それ以外を「県」としました。ここを治めるのに「府知事」「県知事」が置かれましたが、この時はまだ「藩」は残っており、そのまま諸侯大名がこれを治めていました。


1869年7月には諸侯から出されていた版籍奉還(天皇(朝廷)に返す)を受け入れ、諸侯を代替わりさせて「知藩事」として引き続き藩の統治をさせました。

諸侯は領地と領民に対する権利を天皇に返したことになっていますが、実質的には幕藩体制の江戸幕府にかわって明治政府が引き継ぎ、大名の役名などが変更されただけに過ぎません。

そこで1869年8月には太政官布告で、京都府・東京府・大阪府以外は県とすることが決まり、他の府(初めて聞くような …神奈川府・新潟府・越後府・甲斐府・度会府・奈良府・箱館府・長崎府)が県に名称変更されました。
この時に天皇の住む皇居が京都にあったため、序列は京都>東京という順になっています。


 そして廃藩置県 〜

太政官布告までは東京府は江戸府と呼ばれていましたが、この時に「東京」と改称されました。

そして1871年8月の廃藩置県を迎えます。この時に「藩」は「県」となって、全国が明治政府の直轄となりました。

この1871年当時は、「1使3府302県」あったといわれています(1使=いまの北海道の開拓使)。
しかしこの時点では飛び地が各地にあり府県行政に支障があったため、12月には「1使3府72県」に整理統合されました。
さらに1876年には県の大規模統合が行なわれ、1878年には37府県まで減りましたが、最終的には1890年以降、県の合併・分割は行なわれていません。
この1890年当時に、「1庁3府43県」となりました。


この時に沖縄は、1872年まで薩摩藩の実質的な植民地であった琉球王朝を廃止してできた琉球藩から、1879年に沖縄県として43県に含まれていますが、北海道はまだ北海道庁として1道ではなく1庁として勘定されています。

この琉球王朝廃止(琉球処分)は領有を主張していた清国との間で問題となり、この後の歴史もありますが、今日でも尖閣諸島がその領有をめぐって問題となっているのはご存知のことと思います。


北海道が「北海【道】」として「道=県」と同格になったのは意外と歴史が浅く、戦後の1947年の地方自治法施行時になります。

「蝦夷地」から「北海道」と改称されたのは1869年(明治2年)なのですが、当時は新政府の館藩(函館周辺の一部)領以外は開拓使の管轄となりました。
その後、館藩は館県となったり弘前県(青森県)の一部となった歴史の後に開拓使の廃止を経て、1886年に北海道庁が設置され、本格的な開拓がなされました。

ここに置かれたのが府県知事と同格の北海道庁長官であり、この長官の治める地方行政官庁であったのですが、1847(地方自治法施行)年の北海道庁長官の廃止に伴い、北海道庁から普通地方公共団体である「北海【道】」として、1庁から1道になります。


 東京府から東京都へ… 〜

明治維新以降に、江戸府から東京府になった東京ですが、ほぼ今の形になるまでは維新後もしばらく時間が掛かりました。

いまの23区に近い形で東京府となったのは、やはり廃藩置県後の1871年でした。
東京府の中心をなしていた麹町区他の15区に隣接した荏原郡・東多摩郡・南豊島郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の6郡が、1889年の市制特例で「東京市」となります。
(東多摩郡と南豊島郡はのちに合併されて豊多摩郡となります)

 

この東京市は1899年の市制特例廃止のより、一般市制による一般市となりますが、それに先立つ1893年には神奈川から三多摩が編入され、現在の東京都とほぼ同じ形になります(呼び方はまだ「東京府」)。


大正時代には東京への人口集中が進み、1920年には370万にとなりましたが、1923年に起きた関東大震災は東京におおきな打撃を与えました。
そのような中でも、東京府の中の三多摩に属するところで、1917年には八王子市と1940年には立川市ができます。

この時点で、東京府には3つの市がありました(「東京市」「八王子市」「立川市」)。

時代が第二次世界大戦に向かう頃、近衛文麿政権以後の政権は、戦時体制を敷いて、経済・産業・文化・芸術・教育、その他あらゆる分野の中枢を東京に集めていきました。

そのような中で「東京市」は内務省の指導で1943年に東京都政が施行され東京市と東京府の廃止と同時に「東京都」が生まれます。

東京市役所の機能は東京都庁に移管され、旧東京市にあった35区は従来どおり区議会のある自治体でありながら東京都直轄の区となり、内務省による統制が強化されていきました。


戦後にこの35区は東京22区に再編され、1947年の地方自治法によって特別区となります。
この同じ年に旧練馬町他の4つの村が「板橋区」から分離して「練馬区」となって、いまの東京23区になった…

 

ということで、今回のお話のラストにさせていただきたいと思います。